全落ち浪人女の現役時代
2020年、東京オリンピック開幕という大きなイベントを遂に迎えるという空気感を国民皆が共有し、淡い期待に満ちる、そんな春。
になるかと思いきや。
新型ウイルスのパンデミックで東京オリンピックは消し飛び、街は閑散とし、重い不安感の漂う春がやって来た。
私はこんな2020年の春に、あっさりとした卒業式を済ませ、無事に高校を卒業し、残念ながら浪人生になってしまった。
浪人をさせてくれる両親に感謝だ。
照合する大学片っ端から右から左までぜーんぶ青・不合格・「残念ながら不合格です」の文字。
補欠合格とかあるかな…⁉️と思いながらぼんやり待っていましたが、どうやら何も来なそうです。
もう4月8日だもんね。とっくに新年度が始まってるのだ。
あーあ。
と言いつつ。
悔しさはない。そりゃそうか、と思う。
情けない。
はじめまして。鯛の遊園地です。
本格的に塾が始まるまで少し時間があるので、ブログを始めてみました。
書いてみたいことはたくさんありますのでたまにチマチマ更新していけたらと思います。
さて、現役の受験生だった私は何をやっていたのか。
受験生になるまでの中高生活、そして現役生時代を書き起こしてみたい。
入試に合格し(恐らくスレスレで)中学校に入学。
中1→まずまずの出だし。友達もでき、成績もまずまず(※数学を除き)運動部に入る
中2→部活を中2中盤まで頑張る。部活から帰り疲れて寝てしまうことがほとんどで、成績が落ち始める。部活・友人・家庭のストレスと持ち前のへぼメンタルと思春期の不安定な時期などのため中2後半から不登校に
中3→不登校、本気を出す。荒んだ生活を送り、保健室登校をする。修学旅行にも行こうと頑張っていたが結局行けず。
高1→手厚い学校だったため、何とか高校に上げさせて貰える。友達2人と同じクラスになり、「運良く友達が教室にいる今年のうちに学校に行けるようにならないとずっとこのまま不登校だ…」と思い、午後だけ授業に出るなどしながら、少しずつ学校に行けるようになる。
休みがちではあったが、クラスに馴染み、教室で授業を受けながら笑ったり軽口を叩いたりと、素の自分を安心して出せるようになった。
新しい友達ができる。(この後高校3年間同じクラスになり、親友になる)
学外活動をしまくる。
それまで個別塾に通っていたが、運良く学校生活が軌道に乗ったため、大学受験を視野に入れて東進ハイスクールに高1秋に入塾。
不登校から復帰したばかりの状態だったため、成績は壊滅的。ビリギャルと同じくらいの状態。
高1冬から大学受験を意識した勉強を始める。英語の単、熟、文法等。英語ばかりやっていた。
進路は迷いなく文系。
第一志望校を早稲田大学文化構想学部に決定。
高2→楽しかった。中高生活のピーク到来。ちょっと体の弱い子くらいのペースでちょくちょく学校を休むが、全体的には学校に通い、友達がたくさんでき、教室で騒ぎまくった。
勉強意欲の高い友人に恵まれる。
定期試験の勉強をしっかりやり(※受験科目のみ)、まだまだ英語ばかりをやる。
東進センター模試英語(筆記)の変遷
4月 90/200
6月 91/200
8月 130/200
10月 93/200
12月 140/200
1月 139/200
2月 166/200
(高3 4月 172/200)
英語しか書いていないのは、他の教科には目立った変化がないためだ。
高1の12月から高2の6月まで、勉強しているのに成績に変化が見えず、不安だったことを覚えている。
8月にやっと成果が見え、安堵した。10月にまた得点が逆戻りして不安も逆戻りするが、これは何らかのちょっとした不具合のようなものだったようだ。
その後は順調に成績が伸びる。
高3に入ると9割前後の得点に安定した。
高3の5月に英検準一級を取得することもできた。
英語は一度しっかり身に着けたら得点が安定する、お得科目だ。
英語に余裕が出てきたため、高2の秋から、古文の勉強を始める。世界史は定期考査でしっかり勉強するようにしていた。
私は、塾の先頭を走って勉強に積極的に励む優等生だった。そして、第一志望校に恋していた。合格するためには一体どうすればいいのか、考え続けていた。
色んな担任助手にアドバイスを聞きまくって、実行していた。
本気だったがゆえに、高2の夏休みやセンター同日模試の成績を第一志望校に合格した先輩の成績と比較して、今の成績では受からない、もう駄目だ、と思って泣いていた。今思えば判断が早い。早すぎるぞ!
高2の冬から本格的に受験勉強を開始する。
塾の高3の先輩がコミュニケーションルームで延々と駄弁っているのを尻目に、昼食を食べながらでも単語帳を開いた。
特にだらけている先輩数人を観察しながら、コイツ、大丈夫か?と思った。
受験シーズンが終わった時に、その先輩達が全落ちしたという旨の会話を大声でしているのを聞いて、やっぱりそうか、バカだなぁ!と思っていた。
まさか自分も大学全落ちするとは知らずに。
そして、高校3年生、受験生と呼ばれる学年に突入する。
高2から受験勉強を本格化させていたにもかかわらず、私は、高3になったら以前以上にストイックに頑張らなくちゃいけない・・・と思い込み、自らを更に追い込んだ。
3/27の日記に、”やってしまった…。スマホ、ユーチューブ”という反省の走り書きとともに”勉強時間8h”と書いてある。今になってみれば、そのくらいの息抜きは全く問題ないし、8時間も勉強していたら万々歳じゃないか!と思うことができるのだが、当時は本気で反省し、自己嫌悪に陥っていた。
このやや行き過ぎたストイックさが後に自分を苦しめる。
高校3年生でも、担任や友人に恵まれ、受験生というつらく厳しい学年ではありながら、充実した楽しい時間を過ごしていた。
進学校のため、全員が受験する。私大志望者のほとんどは早慶を目指していたはずだ。
以下が私の平日のスケジュールだ。
6時15分頃に起き、登校時間の30分前に自習室に到着し、自習をしてから教室に向かう。
昼休みは勉強をしたいから、2時間目と3時間目の間の休み時間などに早弁をする。
これはクラスのほぼ全員がやっていた。
うちのクラスは早弁が盛んなクラスで名が通っていた。
昼休みも勉強。
学校が終わったらとっとと帰る。
16時15分頃、塾に着く。
塾に着いたら、21時ごろまで自習。
そのあと家に帰ってテレビを見ながら夜ご飯を食べてお風呂に入って明日の学校の準備をして、23時半とかにせかせか寝る。
こんな感じで日々を過ごしていた。
勉強もダラダラするのではなく、どうやったら身につくか考え、工夫しながら勉強した。
高3に入るまでの貯蓄とこの勉強の甲斐があり、成績が順調に上がる。
夏までずっとこんな調子で勉強した。
そして、受験の天王山、夏休みに突入する。
長い夏休みだった。
夏休みが終わった私は、夏休みに「全力の努力」をしなかったことを後悔していた。
朝、YouTubeを少し見始めたら何時間もの時間が経過していて、その罪悪感に耐えられなくなって、その罪悪感から逃避しようと心から楽しめないYouTubeを見て1日を潰すというようなことを夏休みで何日もやってしまったのだ。
だが、夏休み前に立てた計画は遂行できており、8月最後の模試でも結果が出ていた。
「全力の努力」とは、東進の指導から来ている。
夏休みは1日13時間やれ!みたいな感じだったと思う。(チューターさんにこっそり13時間は無理。10時間でいいよみたいなことを言われたが)
私は頭が固かったので、東進の様々な指導を全て真に受け、それを更に頑張る燃料にするのが常だった。
東進の指導は、部活をがっつりやり、高3から受験勉強を始め、本気でやらねば本番に間に合わないような一般の受験生に向けたものだったと思う。
私は、高校は帰宅部で、高2から受験勉強を始め、実力もある程度ついていた。
もっと冷静になり、気を抜いてよかったと思う。
だが、私は、”受験生活を通して全力で勉強した者にしか第一志望校合格という栄光は掴めないし、私は第一志望校に死んでも合格したいから、時間をたっぷり取って有効な方法で頑張り続けなくてはならない”という考えに囚われてしまった。(あながち間違いではないが)
9月になって2学期が始まっても、1学期と同じような変わり映えのない生活を送り、せこせこ勉強をしていた。
ところが、9月の下旬くらいから、やや行き過ぎたストイックさが祟り、私の受験勉強ライフに綻びを見せ始める。
勉強の最中に「本当にこのやり方で合格できるのか?」と考え出すと不安になる。すると今度はその考えに頭が支配されて勉強に集中できなくなり、こんな生ぬるい勉強の取り組み方じゃ駄目だ、と焦るという悪循環パターンが生まれ始めた。
このパターンに入るのは、問題が解けない時や苦手な世界史を解いている時がほとんどだった。
高3の秋ならば今まで以上にもっと頑張らなければならない、という固定観念のようなものがあって、それもまた自分を焦らせる要因になっていた。
今思えば、集中できなくたってそこまで焦る必要はないのだし、焦らずにできる東進のオンライン受講や得意科目の勉強などで気を紛らわせていたらよかったのだと思える。
だが、その頃の私は、早稲田大学の文化構想学部に合格したいという強い思いとそのためだけに高2から頑張り続けたという自負が自分を固く縛って、どうしてもそれを解くことができなかった。
次第に、「悪循環」に入った時にどうしようもなく気分が落ち込むようになった。スタバでも、自習室でも、急な絶望感に陥る。勝手に涙が出てくる。
これは懐かしい感覚だった。
不登校だった頃によく同じ感覚になっていたことを覚えていた。マズイなと思った。
その状況から脱するには、スマホを見て、受験のことを忘れて気を紛らわすしかなかった。
前からずっとそうしてきたから、それ以外に方法を知らなかった。
この頃はまだ今までの貯金があったので、成績は上がっていた。
このまま、勉強時間は減り続け、10月になった。10月になって、また、学校に行けなくなった。また不登校を再発したのだ。
受験勉強のために休んでいる、とみんな思ってくれないかなぁと祈りつつ、自習室にいたり、保健室登校をしたりしていた。
また保健室で昼ご飯を食べる機会がやってくるとは思っていなかった。
仕切りに挟まれた机で、静かに弁当箱を開き、静かに咀嚼する。隣に人がいれば、同じような音が聞こえてくる。ガラス棚に自分の顔が映る。
そこで食べる昼食はいつも美味しくない。
もう早稲田大学に受かれないという思いと(前述したように受験生活を完璧に頑張れた人でないと受からないという思想に囚われていたし、この状態から受かるようなハードな勉強をまた始められる気がしなかった)、今からならまだMARCHに受かるかも知れないという思いでずっとぐちゃぐちゃになっていた。
今までの私の努力は一体何だったんだと虚無感に襲われた。
今から少し勉強して入れそうな所に入ることが、浪人と同じくらい嫌だった。
ちょっとしたきっかけでしょっちゅう泣いていた。
余談だが、今、私は自分がかわいそうだとか、そういう風には全く思っていない。
この時点で少しでも勉強を継続し、過去問を解いていたら、どこかしらに受かっていたと思う。
ズルズルと現実逃避をし、スマホを見続け、私は本当に何もしなかった。
この頃は早稲田に受かるような人間に対して恨みや妬みがあり、全員消えろ!と思っていた。(笑)だが、今は、あの長い受験生生活を乗り越え、見事に第一志望校に受かった人たちを心から祝福しているし、受験が上手くいかなくても、受験を最後までやり切った今年の受験生全員を尊敬している。
恥ずかしながら、自分にはできなかったことだから。
11月になった。
特におもしろくもないスマホを見て一日を布団の上で過ごす日々が続いていた。食べ物が特に美味しく感じられなく、お風呂もトイレも面倒で、いい景色を見ても特に何も感じなくなった。
あっという間に下旬になった。
本当に学校に行かなくなってしまって、いよいよ表情に生気がなく、様子がおかしくなっていたようで、両親からTMS治療という最近出てきた鬱治療があるから、1回その治療をやっている病院に行こうと言われた。
いや、私鬱じゃないし、何その治療?怖いんですけど、と半信半疑で行ったのだが、これが凄かった。笑っちゃうぐらい効果てきめんだった。
特に痛いこともなく、副作用もなかった。
また今度この治療について詳しく書けたらいいなと思う。
鬱ではないと思っていたが、どうやら私は軽度の鬱状態だったようだ。
1回治療を受けて最寄り駅に帰って来たときに、クリスマスのイルミネーションの存在に初めて気がつき、わぁ、綺麗だなと思えた。
見える世界が違った。
元通りに戻ったと思った。
その病院への通院が続き、治療が完全に終わったのは1月に入ってからだった。
その治療は半永久的に効果が続く。私は”心の風邪”を引く心配をもうしなくてよくなったのだ。
小学生のころから精神的に弱く、小6の頃に円形脱毛症になったりもした。
健全に、普通の人と同じように気持ちが落ち込むことはもちろんあるけれど、″心の風邪″になることはもうない。
今書いていても胡散臭さが否めない。
でも、私はそのおかげでめきめきと元気になり、感情が以前のように豊かになったし、勉強に集中できなくても大して気にしなくなった。
なんで前はあんなことを思っていたのだろう?と不思議に思うことが沢山ある。
学校にもなんの苦もなく行けた。なんで行けなかったのかわからなかった。
精神的に復活したものの、怠け心と、このまま適当にどこか入るのかなあ…ヤだなあ…というモヤモヤを抱えたままの状態はそのままで、たまに勉強道具を開いて勉強してみる程度で、大して勉強をせずに過ごしていた。
今思うと、不安も半端じゃなかったのだと思う。勉強をしっかりやってきた人たちでさえ、試験前はとても不安になるものなのに、勉強をずっと休止していた私は、これから一体どうしたらいいのかわからなかった。
今から頑張っても無理だ、という考えが拭えず、またスマホに逃げていた。
(楽しくもないのにスマホを一日中見てしまい、自己嫌悪に陥るという現象は、私の受験が終わり、浪人が決まってからパッタリと無くなった。ストレスによるものだったのかも知れない)
あっという間に時間は過ぎ、ぼやぼやとセンター試験を受け、気づいたら私大入試が始まり、終わっていた。
早稲田大学文化構想学部は、記念受験のような気持ちで受けた。試験が終わってから、天地がひっくり返っても落ちたな、と思った。
現代文だけで受験できたA大学と、問題が簡単で自分に合っているB大学のどっちかなら引っかかるかなぁ…などと思いながら、祈るような気持ちで合否確認ボタンをクリックするが、いずれも不合格。
英検利用を使い大幅に得点のボーナスが入るため、どんなに国社ができなくても受かるはずだった、滑り止めの大学も落ちていた。(社会に足切り点があったのかも知れないし、普通にただ得点が足りず落ちたのかも知れない)
これはショックだった。あ、本当に自分、今年の受験、全然だめだったんだな、と思った。
2020年センター試験の結果
英語(筆記) 134/200
(リ) 40/50
国語 154/200
世界史 45/100
1年前のセンター同日試験とほぼトントンのような結果だった。
これが私の現役時代だった。
私は凄くもなんともない。このブログで誰かを啓蒙したいとか、そういう気持ちも全くないし、そんなことができるほどしっかりした人間ではない。
ただ、今ちょっと暇で、物を書くことが好きだったからブログを始め、題材として一番に思い浮かんだのが、「受験について」だったというだけだ。
私のような例は恐らく特殊なので、あまり誰かの役に立つことはないと思うが、私のささやかなアドバイスとしては
◎固定観念に縛られすぎずもっと物事を柔軟に考えてよい
◎息抜きは大切
といった所だ。
今回の反省を生かして、もう一度頂いたチャンスに取り組んで行きたいと思う。父、母に感謝だ。
後日、今の心持ちやこれからの目標について書く予定だ。
今回は暗い話が多くなってしまったが、私は元々結構明るい人間で、TMS治療でこれから「病む」心配ももうなくなったので、安心して欲しい。
それでは。😄